新潟の言葉もかなり外国語っぽい
新潟の言葉は私にとってはかなり独特。最初に気がついたのは「ひだり」「うさぎ」「ピアノ」「田んぼ」などの言葉のイントネーション。どれも最初にアクセントがつく。私にとってはいままで経験したことない喋り方で、なかなか楽しい。最初は歌っているようにさえ聴こえた。またお年を召した方々の言葉は私は完全に聴きとることができない。よく津軽弁は無理、とか聞くけど、新潟弁もかなりのレベルだぁ♫

うちの母親は言葉を略して話すことが多い。たとえば「硫酸アンモニア」を「りゅうあん」、「アメリカシロヒトリ」を「アメシロ」とか。「りゅうあん」っつったら龍安寺のことだよな〜とか考えたり、木々の網状になった虫食い部分を指して「アメシロ」(これは「アミシロ」と聴こえる)と言うから、網の城? または網状が白っぽくなっているから「アミシロ」とか想像し、とにかく母親は誰でも知っている当然の言葉という雰囲気で話してくるので、私も新潟にはそういう言葉があるんだな、と必死に覚えようとしていたり。でも略さないでしゃべってくれれば、もっとわかりやすいのに(笑)。

今日、そのアメシロの駆除で庭や畑を脚立を担いであっちゃこっちゃしているうちに怪我をした。足元に気をつけて歩いていたら頭上の電気メーターのアルミパネルの角にしこたま頭を打ち付けたのだ。出血したので妻に見てもらうと2センチほど切れているという。整形外科に行ってレントゲン、その場で縫ってもらった。骨には異常なく大事にはならずに済んだというところ。しばらく頭が洗えないのが厳しい。この際、またばっさりと坊主頭にしたいなぁと妻に相談したが、あなたには坊主頭は似合いません、と即却下された。坊主頭はらくちんで大好きなのだが、妻は見栄え優先ということらしい。

その名も「ブラックホール」
その名も「ブラックホール」
キンギョの水槽の水が黄ばんでいる。私はまぁ、そんなもんか、と思っていたが、妻が「見栄えが悪い、水換えしたら?」とクレームをつけてきた。玄関に置いているから見栄えも大事か〜、などと思いつつも、キンギョは元気なのだから水換えはしたくないなというのが本音。それでも先日、水槽の半分の水を交換した。黄ばみは薄くなったが、またすぐに色が濃くなってきた。いままでこんなことはなかったので、新潟に来てから投入した流木が原因かと推測。

そこでネットで検索してみると、オススメの商品が見つかった。キョーリンの超高性能活性炭「ブラックホール」(笑)。わかりやすっ! すぐに楽天でポチっと購入。今朝、商品が届いた。それほど期待してなかったが、効果は絶大だった。フィルターに追加して入れて数時間、目に見えて水の透明度が増し、1日経ったらほとんど無色透明。吸着するだけならキンギョへの負荷もないだろうし、なかなかの見っけもん。ネーミングがとてもいいね。開発者の自信の程もうかがえるし、使う側も納得♫

被災地・宮古を訪れたこと(その2)
被災地・宮古を訪れたこと(その2)
被災地・宮古を訪れたこと(その2)
鍬ヶ崎の宮古魚市場は壊滅状態。クルマが建物のひさし部分にひっかかっていたり、津波の凄まじさを感じさせる光景が続く。臭いはそれほどひどくはなかったが、潮の香りではなくなんとなく微妙な普通じゃない感じ。人も少なく、見かけるのは作業員・救助員のような人がほとんど。訪れた5月中旬の日曜日、空は晴れわたり、宮古魚市場の岸壁から眺める内湾の青い水面は波もなく真平ら。津波など想像もつかない穏やかな表情だった。

被災地・宮古を訪れたこと
被災地・宮古を訪れたこと
被災地・宮古を訪れたこと
三条のボラをして、依頼人の方と被災した宮古の話題にもなった。実家は盛岡だから揺れはしたが津波はなし。でも一時期住んでいた宮古はひどかった。5月に両親といっしょに宮古を訪れたことを思い出した。私が以前住んでいた宮古駅周辺は水はこなかったようだ。それでもまだ信号が作動してない交差点もあり、やっぱり普段どおりではない。

父親の知人の案内で、津波の被害のひどかった漁協周辺、鍬ケ崎地区を見て回った。まだ道路を片付けたくらいで、そこらじゅう瓦礫の山。外形をとどめている建物には、「解体OK」とかなにか整理番号のような数字がスプレーで書かれていた。鍬ケ崎地区は背後を山に囲まれた海辺の地区で、宮古湾に押し寄せた津波が直撃、逆に背後の山が宮古市中心への津波を食い止めたようだ。
新潟に移ってきてから図書館に行くことが多い。新潟市の中央図書館「ほんぽーと」で電源と有線LANのコンセントが使える席があるとのこと。ほんじゃ、試しにMacBookProを持ち込んでみようと思った。

新潟市立中央図書館「ほんぽーと」
http://www.niigatacitylib.jp/modules/tinyd0/index.php?id=7

コンセントが備え付けられている席は学習室と、一般のフロアにも若干数あった。学習室はA、B、Cと3つあり、席も多いが空席はわずか、人気だ。ちらほらノートパソコンを使っている人もいる。私もさっそく席を見つけてMacを起動。あ、図書館だと起動音が目立つな〜(笑)。起動音OFFの設定ってあったんだっけ?

なんとなくLANケーブルを挿し込めば使えるつもりでいたが、Firefoxを立ち上げてみると、サーバーが見つかりません、のオンパレード。設定が必要なのか、とインフォメーションで聞くとインターネットの利用についてというシートを渡してくれた。それに設定方法が書かれているとのこと。確かに図解で手順をわかりやすく書いてあるけど、これはWindowsの場合だ……。ポイントは、IPアドレスとDNSサーバアドレスは自動取得、プロキシサーバを使う、ということ。だったらMacならブラウザで串の設定をすればいけるんじゃないかと推測して、Firefoxでプロキシを手入力。お、反応あり。無事開通♫

開通したはいいけどフィルターの設定が厳しい。SNS関連はダメ。オークション関連もダメ。もちろんアダルトの要素が含まれているとはじかれる。当然かもしれないけど個人的にはFacebookやtwitterに繋がらないのはキツイな〜。いちばん不満だったのは、新潟市立図書館のサイトの本の検索ページにアクセスできなかったこと。なんでだろう? 学習室のデスクで資料を探して取りに行く、ということをしたかったのに。学習室の外には検索用の端末が並んでいるが、せっかくインターネットに繋がるなら、自分のデスクトップで資料検索をしたい。ちょっと使い勝手が悪い。

それに図書館用にネット接続の設定を変更すると、自宅に戻ったときまた設定変更しなくてはならないだろう。パソコンに詳しい人じゃないと億劫な作業だ。あんま現実的でないなぁ。自宅からいちばん近い西川図書館でもLAN環境が使えるらしいが、新潟市に合併される前は無線LANで使えたらしい。新潟市に合併した際、図書館の無線LANはセキュリティ強化のため有線LANに変更したとのこと。セキュリティは大事だが、できればセキュリティをある程度確保した無線LAN環境にしてくれないと、利用者は増えないと思う。
いちばん近くの図書館
土地勘のない場所に移ってきたとき、だいたいまず図書館に行く。図書館にはだいたい郷土資料コーナーがあり、その土地の成り立ち、歴史などからはじまって、地図や情報誌、ゆかりの作家の作品などが並べられている。これがけっこう楽しい。ついつい時間を忘れて過ごしてしまう。ここらへんは良寛さん、ソラマメ、イチジクか〜。
家の周りの風景 カエル・ザリガニ・カマキリ
家の周りの風景 カエル・ザリガニ・カマキリ
家の周りの風景 カエル・ザリガニ・カマキリ
畑に行くと、とにかくわらわらとアマガエルがいるのがカワユイ♫ アマガエルのお風呂だったら入ってもいいかも♫ いや、想像したら無理かな。伸びきったアスパラガスの森は、日影になるしカエルにとっても涼しいのかも。

畑の端の用水路際にザリガニの殻が。脱皮? けっこうサイズが小さい。今年はカマキリもたくさん見かける。この大きさに成長するのは生まれたカマキリの数十分の一かな。赤シソの葉っぱの上に緑のカマキリがいて、とてもキレイだったが写真ではうまくわからないかも。

山の中の田んぼ

2011年6月4日 日常
山の中の田んぼ
山の中の田んぼ
山の中の田んぼ
先週に続いて、従兄弟の田んぼで田植えの手伝い。先週は小雨だったが今日は日が出て暑いくらい。一週間前に植えた苗は、残念ながらちょっと元気がない。機械で歯抜けになったところや、あまりにも元気がないところに新しい苗を手で補植していく。あまり広過ぎなければ手で植える田植えは楽しい。

従兄弟の田んぼにはカルガモやアオサギなどがよく来るという。カエルやドジョウ、草もあっていい餌場なのだろう。で、畦道を歩いていたら鳥の卵を発見。ニワトリの卵より若干小さくて、丸みのある卵。従兄弟はカルガモが間違えて産み落としたのでは、と言っていた。もう世話はされてないようでいずれヘビの餌になるのだろうか。

田植えをしていたら、大きなヤゴを見つけた。これはデカイ! オニヤンマのヤゴだろうか。これならオタマジャクシも食べてしまえそうなくらいだ。田んぼの水は近くの沢水を引いていてとてもきれいなのだろう。そういえばそろそろホタルの季節。従兄弟に聞いてみると、たまに近くでホタルも飛んでいるとのこと。

畑のほうでワナにかかったオオスズメバチがいるというので見せてもらった。これも巨大。焼酎の入ったペットボトルの中で死んでいるからいいけど、生きたオオスズメバチが飛んできたら恐怖を覚えるだろう。でもこのオレンジとブラックのシマシマはキレイだね。

初めての田植え経験
初めての田植え経験
初めての田植え経験
従兄弟が数年前からいすみ市のとなり、大多喜町の会所というところに家と土地を買って農業を始めた。いつか手伝いに行きたいと思いつつ数年経ってしまったが、今年は田植えを手伝えることになった。

田植えは子どものころ、どっかで経験したのと、去年、都会の人たちに田植えを体験してもらうイベントを取材したときにちょっとかじったくらい。従兄弟の田んぼは二千平米くらい。今年は機械でざっと植えて、はじっこを手で植える方式で。

従兄弟の田んぼは生き物がいっぱい。ざぶざぶ田んぼに入っていくと、足元からアメンボやオタマジャクシやクモやいろんな虫や生き物がわらわらと動き出す。田植えの機械もやってみる?というので、初体験。なかなか楽しい。来週は補植をするというので、できればそっちも手伝えれば。

田んぼの水の取水口あたりにクレソンが茂っていた。花が咲いていたが美味しそうだったので、従兄弟に断ってお土産に持って帰った。クレソンは簡単に食べられて美味しくて、大好き。


最後の晩餐・受難節
最後の晩餐・受難節
最後の晩餐・受難節
アメリカに移住してなかなか会えない友人が一時帰国。お互いどこかで都合つけて会おうということになり、日曜日の礼拝にいっしょに出席することにした。1年前に赴任した牧師さんがとてもいい方、とのこと。横浜海岸教会の礼拝は二十数年前、横浜に遊びに来たときに何度か参加したことがある。久しぶりに訪れた教会で、思いがけず古い友人にも会えた。お互い歳をとったが、懐かしいね~、と話が弾む。

今年は桜の開花がちょっと遅め。それでも横浜は外房よりも咲き始めていて、教会の庭の大きな桜はほぼ満開。まだ肌寒いが、この桜色は心をほんのり暖めてくれるな~。


新潟の梅

2011年3月26日 日常
新潟の梅
いすみの家の白梅はクルマのボンネットに花びらを散らして、もう終わり。新潟は今がちょうど見頃。今年は雪が多いと言われているが、私が新潟を訪れる時はだいたい天気がよくて、雪はなし。今日も天気予報は雪だが、薄日が射してきた。まだ寒いが、春の兆し。

白鳥舞う

2011年1月10日 日常
白鳥舞う
年末年始、新潟では雪がまったくなかったのに、私がいすみ市に戻ってから、まとまって雪が降ったとのこと。雪が積もると白鳥たちはエサ場に困って、雪が少ない田んぼを探して空をあちこち飛び回ることになるらしい。新潟からの報告。

今朝の白鳥

2011年1月9日 日常
今朝の白鳥
今朝の白鳥
今朝の白鳥
トンボ沼の白鳥を今日も観に行く。昨日は朝10時ごろに飛び立ったので、9時半ごろ家を出る。現地に着くと、あれ、2羽しかいない? いや、沼の真ん中の島の影に9羽いた。今日は11羽いる。

またおっかけのカメラマンからいろいろ情報収集した。この沼に来ている白鳥は、夜間は少し離れた岬ダムに滞在するのだという。岬ダムにはもっと大勢の白鳥が集合していて、そのうちのいくつかのグループが毎朝トンボ沼に飛来し、そこからまたエサ場に向かうようだ。

このトンボ沼のグループのうち、2羽はほかのグループと折り合いが良くない、というような話しをカメラマンの方がしていた。昨日気がついた2羽のことらしい。今日も2羽だけほかの白鳥から離れてたたずんでいる。9羽が盛んに動き回っているのに、2羽は眠ったり動きが鈍い。仲間はずれなのか、それともひねくれ者で団体行動が好きじゃないのか。白鳥もいろいろ性格があるらしい。

今朝はけっこう岸近くまで白鳥が近づいてきてくれた。水草がたくさん浮かんだ水面を泳ぎ、ちょくちょく逆立ちするように水中にもぐってエサを食べているようだ。色が真っ白になってない若い白鳥も混じっている。もしかしたら今日はここでエサを食べちゃって、飛び立たないかもと思い、10時半ごろまで粘って帰宅。
いすみのトンボ沼にも白鳥が
いすみのトンボ沼にも白鳥が
朝は冷え込んだが、天気は快晴。ほんとうに雲ひとつない。冬の青空は色が深いような気がする。茶色がかった山や森の輪郭が、青い空をバックにくっきりと浮かびあがる。陽射しがかなり暖かくなった朝9時ごろ、散歩に出かける。

あまり期待してないが、トンボ沼に白鳥が来てないか確かめに行く。家から歩いて15分くらい、道のり2キロほどのちょうどいい散歩コース。家から歩いて行くと、沼の直前がコーナーになっていて、そこを曲がると沼の全景が目の前に広がる。いないんじゃないかな、と思いつつコーナーを曲がると、まず散策デッキに望遠レンズを構えたカメラマンが、遠くに3人ほど見えた。あれ?!  んじゃいる? ちょっと急いで歩いて沼の全景が見えるところまで行くと、あー、いた! 遠くの水面に浮かぶ白い影が。白鳥だ〜。

新潟では車で佐潟まで観に行ったが、家から歩いて行って白鳥が観られる、というのがなんか嬉しい。数えてみると10羽の白鳥。いいね〜。張っているカメラマンの話しでは、昨日は9時半ごろ飛び立ったという。だいたい飛び立つ瞬間がシャッターチャンスとなるので、毎朝通うらしい。ちょうどその時間なので、私たちも白鳥たちが飛び立つのを待つことにする。

だが、今朝はなかなか飛び立たない。観察していると、2羽ほどほかの白鳥と同調しないで離れてぼんやりしているのがいる。今日は休みたがっているように見える。それを群れの仲間が、ちょいちょい誘ったり説得したりしているようにも見えた。だんだん8羽はクークー鳴きながら羽ばたいたり、首の上げ下げをお互いシンクロさせるようにして、あきらかに出発準備。2羽はおいてかれるのかしらん、なんて思っていると、唐突に群れがバタバタバタ〜と飛び立つ。ちょっと離れていた2羽も同時に飛び立つ。な〜んだ、ちゃんとわかっているんだね。

10羽という数は例年よりは少なめらしい。水草がかなり水面を覆っていて、空から水面が見えなくて来なくなったのかな、とか去年の暮れあたりは思っていた。トンボ沼のどこらへんが白鳥たちは気に入っているのだろうか。

iPhoneのカメラではぜんぜん見えないから、ふつうのデジカメ持って、また明日来る。ハマるな〜。
囲炉裏で火起こし
囲炉裏で火起こし
囲炉裏で火起こし
実家の大茶の間で眠っていた囲炉裏を復活させてみた。となりの茶の間の囲炉裏はすでにガスが引かれている。大茶の間は昔ながらの炭火の囲炉裏。ずーっと使ってきた灰はきめが細かくすごく滑らか。それをならしたり穴を掘ったりして火床を作る。

炭火はバーベキューでやっているからとまどいはない。ただ、家の作法などあるのでまずは母親にいろいろ教わる。空気の道の作り方、囲炉裏から離れるときのしまいかたなど。基本はそんなにぼうぼう燃やすものではなく、炭が静かに赤くなっている状態を保つようにすること。

夜寝るときに炭火が全部隠れるように灰を被せてしまう。次の朝、灰をどけてみると燃えきってない赤いオキが現れる。それを種火にまた火を起こす。その繰り返しで昔はずっと火を絶やさないで暮らしていたそうだ。

大掃除の成果

2010年12月31日 日常
大掃除の成果
大掃除の成果
大掃除の成果
大掃除。勝手がわからずうまくいかなかったようだが、楽しいことも。実家は茶の間のほかに大茶の間があって、両方に囲炉裏がある。大茶の間の囲炉裏はふさがれていたので、ちょっと開けてみたくて畳を上げてみた。囲炉裏二連発の写真を撮ってみたくて。意外にも母親はすんなりと許可してくれて、囲炉裏の枠を奥から出してくれた。火を起こしてもいいと言ってくれたが、それは来年の楽しみに。

鉄瓶を下げる真鍮の鍵手を磨く。根気よく磨くんだよ、と言われたが、なかなかきれいにならない。真鍮用の薬品を買ってきてさらに磨く。少しは金色が出てきたがかなり大変。毎日磨くものだそうだ。

さらに神棚に飾る、名前がわからないものの制作を命じられる。糊入れという紙を折って、オチョウ? メチョウ?とかいう飾り物を作るんだそうだ。毎年、大掃除の際に新しいものを折って神棚に飾るという。古いものを渡されて、これと同じものを、と言われてもね……。小さい時の折り紙を思い出す。折り紙、やっていてよかった。古い飾りを分解して、分析研究の成果が写真のとおり。
雪が少ない少ない少ない……
雪が少ない少ない少ない……
新潟は雪が少ない。盛岡は雪で家が埋まりそうらしい。雪道の運転を楽しみにしてきたのに、かなりがっかり。マーチのラゲッジルームにはしっかりスコップの準備もしてあるのに。一晩で1メートルぐらい積もらないかしら。そういえば、子どものころから雪かきでしんどいとか嫌だなと思ったことがない。雪が積もった朝は、学校に出かける前、必ず雪かきしたもの。そうじゃないと出かけられないし。

Jinsのチタンフレーム
メガネもコモディティ化するか。Zoff、Jins、オンデーズなどの製品を見ていると、そんな気がする。フレームと2枚のレンズで構成され、毎日身につけるものだから、奇抜なデザインはユーザーとしても受け入れがたく、どのメーカーのメガネも同じような印象のデザインになる。視力検査の技術もどこも同じようなものだろう。どこのメガネはよくて、どこのだからダメ、というのは正直感じられない。どこで作ってもそこそこ満足するだろう。

そう思いながらも新しいメガネをJinsにしたのは、「チタン」という響きに惹かれて。古田敦也のメガネはチタン、軽くて丈夫でアレルギーになりにくい、というものらしい。性能を追求していくとチタンになりました、みたいな高性能なイメージがある。

店舗で実際のチタンフレームを手に取ってみると、ずば抜けて軽くはない。Jinsの製品の中でも、チタンより軽いフレームはいくらでもあるようだ。見た目も特に差異があるわけではない。こうなるともう「チタン」は製品の記号化のための一手段でしかないのかも、という気がする。

私は乱視がひどくて視力がうまく出ず、結局、眼科でメガネの処方箋を作ってもらうというちょっと手間がかかったが、新しいJinsのメガネ、気に入っている。チタンだし。

高3のときから足しげく通ったネットワークインタイトー。このゲーセンにはなぜかDJブースがあった。店内は普段は有線の音楽が流れているが、このDJブースからも音楽を流せるようになっていた。たまにお姉さんとかがおしゃべりやレコードかけているのを見て、いいな~と思っていた。

ゲーセン通いのせいか(笑)、大学受験は失敗、浪人することになった。東京の予備校に行きたかったが、親と相談の結果、地元の予備校に行くことにした。両親は盛岡駅から歩いて10分くらいのところの新築マンションを購入、私も浪人時代はそこに暮らすことになった。予備校は大沢川原だったので、マンションから自転車で10分もかからないくらい。一高の寮よりもさらに盛岡の中心街に近く、刺激はいっぱい、という感じ。

予備校通いはいいが、ゲームセンター、本屋、レコード屋と他にも通う場所がたくさんあって、浪人時代は予備校通うより、その他に通うほうが多かったような気がする。で、ゲームセンターは例のネットワークインタイトーなのだが、そこに通ううちに私もDJのバイトをやることになった。きっかけや経緯が思い出せないのだが、多分、DJが駒不足になって誰かいないかなーと店側が探しているとき、店番バイトをやっていた先輩が私を推薦してくれたのでは、と思う。私はDJの経験はなかったが、とにかく音楽が好きでいろいろ聴いていたのは周囲はみんな知っていた。まぁ、DJと言っても店内放送の気軽なものなので、ぶっちゃけ誰でもいい、ぐらいのことだったと思う。

とにかく、私にとって夢のようなお仕事。バイト代は時給うん百円の安いものだったが、大きかったのはかけたい曲をレンタルレコードで借りてきた場合、そのレンタル代は会社で払ってくれたこと。今考えると、著作権の観点からやばい利用方法かもしれないが、当時はまだレンタル黎明期、疑問を持たなかった。私は聴きたい音楽はたくさんあるが、お小遣いが少ないから慎重に考えて考えてレンタルしたり買ったりしていたくらいなので、ここぞとばかりレンタルレコード店を利用した。いくらまでと制限もなく領収書があればきちんとレンタル代を持ってくれて、その上バイト代ももらえるという、最高のバイトだった。

DJは私を入れて4人くらいでシフトを組むことになった。専門学校生だったと思うが年上のお姉さんDJが2、3人。お姉さんたちは友だち同士だと記憶している。もう1人、盛岡一高在学の男の子も1人。彼は放送研究会所属で、おしゃべりができるバイトということでやっていたらしい。私は卒業していたが高校の後輩ということですぐに打ち解け、卓の使い方やら基本的なことは彼から教わった。だいたい毎日夕方の2時間くらいがDJタイム。一高生の彼は主に日曜日担当。平日を私とお姉さま方で分担した。

DJブースはふつうな感じ。いや、ゲーセンにおまけのように付いたブースとしては立派か。ターンテーブルが2台、カセットデッキが1台か2台、ミキサーもけっこうデカイの。あと、小さなFM発信装置。つまりここでミニFMをやっていたのだ。届け出が必要のない微弱な電波によるミニFM。いちおう、DJタイムはFM発信してラジオ放送という形にしていたわけだ。ミニFMなので、届くのはせいぜい数百メートル、大通りの端から端までカバーできるかできないか、ぐらいだったと思う。でも、自分の番組が電波に乗るというところでも、当時の私はドキドキしたものだ。

私の番組は音楽とその解説、みたいな感じになった気がする。ちょっとマニアックだったかも。内容についてもまったく自由にやらせてもらえた。まだ聴く人の立場になれるような余裕はなく、自己満足の域を出ないものだったとは思う。浪人中の夏休みにアメリカにホームステイをすることになったので、それを機会にバイトも辞めたと思うので、ほんとに数カ月のバイトだったが、いい経験だった。

25年前、盛岡の映画館通りと大通りの交差点、今でもかどに北日本銀行大通支店があるのだが、その大通りに面した側のとなりに「ネットワークインタイトー」というゲームセンターがあった。間口はそれほど広くないが、奥行きがあり、私の知る限り単体のゲームセンターとしては盛岡で一番広かった。確かめたことはないが、名前からするとタイトーの直営店だったのではないかと思う。広さをいかして、ナムコの「ポールポジション」、セガの「ハングオン」、タツミの「TX-1」など大きな筐体マシンも置いていた。高校3年と浪人時代の2年間、ここが行きつけ(?)の店となった。

当時、アーケードゲームは1プレイ100円が基本だったが、探せば50円でプレイできるゲーセンも多かった。ゲーセンというか、駄菓子屋を改装したりした小さな個人経営のお店がほとんど。お小遣いに余裕があったわけではないので、私はだいたいそういう場末的な安くプレイできる店を回っていた。そんな私がメーカー直営店の大型ゲーセン「ネットワークインタイトー」に通うようになったのは、そこで大学に進んだ高校時代の先輩がバイトを始めたのがきっかけだった。

ゲーセンのバイトとは、両替の対応やゲーム機にトラブルがあったときに対応する店番である。で、先輩が店番のとき、ちょっとお願い♪をするのだ。先輩はゲーム機のカギを持ってきて、中を開けて秘密のスイッチを押す。それはクレジットボタンで、1回押すと1回無料でプレイできるのだ。これはコインを入れたけどプレイできなかった、などのトラブルがあった際に、コイン分のプレイ回数を手動で増やしてあげるというボタン。それを悪用して、私はゲームをタダプレイしていたのだ。

もちろん、あまりおおっぴらにできることではないので、人が少なくなる深夜など遊びに行って、タダプレイをさせてもらっていた。新しい台が入ると特訓と称して夜中に出かけ、先輩にクレジットをたくさん入れてもらい腕を磨く。ワンコインで長く遊べるくらい上達したら、昼間や放課後に自分の100円でじっくり遊ぶ、そんな感じだった。「ゼビウス」「ロードランナー」などは最後までクリアして、ワンコインで何時間でも遊んでいられた。

ネットワークインタイトーが他のゲーセンと違っていたのは、昔あった雑誌「ベーシックマガジン」の「ハイスコアランキング」の協力店だったこと。これは全国のゲームセンター100店舗ほどの協力店から寄せられたその店のハイスコアランキングを集計、そのゲームの全国ナンバーワンスコアとプレイヤーの名前が雑誌に載るというもの。ゲーマーにとってはなかなかのステイタスである。ネットワークインタイトーは岩手県でただ1店のハイスコアランキング協力店だったのだ。店にはランキングのボードがあり、ハイスコアを記録したらバイトの店番を呼んで確認してもらい、スコアを記入してもらう。ゲーセン側は月々の締め日にそのハイスコアをベーシックマガジンに送る。そしてベーシックマガジンで全国集計、発表、というシステムである。

私も雑誌に自分の名前を載せたくて、かなり頑張った。すべてのゲーム機で争われるわけではなく、決まった機種なので、その中の自分の得意なゲームに絞って攻略にはげんだりしたものだ。また、新しい機種で早く上達してスコアを出すと、全国1位で名前が乗るチャンスが増える。「ゼビウス」や「ロードランナー」のように人気定番機種となると、カウンターリミットがハイスコアになってしまい、雑誌には「全国30名の方」ということになってしまう。それではおもしろくない。私もすでに「ゼビウス」「ロードランナー」ではリミット超えしていたので、全国◯名の中に入ってはいたのだが。よく覚えてないが、1度くらい全国1位単独で名前が載ったことがあったはずだが記憶違いか。「T・A・N・K」あたりじゃないかと思うのだが。これはグラフィックもきれいで、よくできたゲームだった。

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