ここ10年ほど、テクノファンと話していて、いやあれは四つ打ちでしょ、ハウスじゃん、という「あれは違う」コメントをしばしば聞くことがあり、テクノだハウスだ関係なく、屈託のない私はえ? ダメなの?と凹んだりするシーンがあった。

テクノとハウスの違い。一般には打ち込み系でシンセ音楽ならなんでもテクノとくくられている向きもあり、別にそれはそれでいい。ほんでも音楽ファンとしては、言葉があるからには違いを定義したいな、などと思って考えてみた。

どこかで見かけたのがテクノとは「Free Mind」という意見で、私もこれに大賛成。私がテクノと感じる音楽には実験的なアプローチがあり、何かエポックメイキングな提案があることに、ある時気がついた。

それに対してハウスをなんと言えばいいか。私は今のところ「Common Sense」かなぁと。ちょっと固い言い方で気に入ってないけど、暫定で。ハウスはポピュラーで多くの人たちに自然と愛される、わかりやすいサウンドトラック。ある共通の認識の枠の中で、気持ち良い音を提供してくれるもの。こう考えてみると、テクノとハウスって明らかに区分けができるみたいだ。

たとえばクラブ系でも、Prodigy、Chemical Brothers、Underworldはハウスの手法を使っていてもテクノだと思うし、Paul Oakenfold、Tiësto、Ferry Corstenはハウスかと。この比較はけっこう乱暴だったか。

ここ数年、クリックハウスといわれる音楽がる。そのジャンルに含まれるとされるRicardo Villalobos、Cobblestone Jazz、Lucianoは「クリックハウス」と言われているが、私はテクノとして聴いている。クリック系は野心的で冒険的。テクノっぽいね♫

シーケンサーを駆使してシンセサイザーで演奏する音楽がテクノ、という定義は私はしたくない。London Elektricityは打ち込みまったくなしの100%人力演奏(?)のバンドだが、私にとってLondon Elektricityはテクノ。ジャコ・パストリアスがデジタルディレイのホールド機能を使ってリズムトラックを作り出し、それをバックにベースでライブパフォーマンスしたあれは、まさにテクノだと思う。テクノは「Free Mind」だから。

というとなんでもテクノになってしまうからちょっと条件つけるとすれば、テクノには未来的なイメージ、未知のビジュアルがあることじゃないかと。コンベンショナルな音楽とは違って、オリジンとなりえる音楽。よく言われるテクノ、クラフトワーク、YMO、アフリカ・バンバータはまさに源となっている。そうだ、思い出した。Herbie Hancockの「Future Shock」は私の中ではテクノ。

DAISHI DANCEはハウスでFreeTEMPOはテクノ……。やっぱりテクノだハウスだと言うのもあまり意味ないかも。あと、ここではハウスと一口に言っているが、奥が深いからなぁ。まとまらなかった。

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