新潟でもクレーの絵を観られると楽しみにしていた展覧会。前に観たのはBunkamuraのミュージアムだったか。子どものころから大好きな絵だ。カンディンスキーは初めてかもしれない。万代島美術館に行って、あっと思った。展覧会の題は「クレーとカンディンスキーの時代」だったのだ。
私の心配は無用で、展示内容はとても素晴らしいものだった。20世紀の初めごろからドイツで出版された美術誌を軸にして、その時代に活躍した画家の作品を展示していた。『パン』『ユーゲント』などはとても興味深かった。『ユーゲント』はロゴなどを決めず、表紙は毎回、公募によるデザインだった。思いがけず、クリムトやシーレの作品も観られた。特にクリムトのウィーン分離派の展覧会ポスターに目を惹かれた。カンディンスキーのファーランクス展ポスターも素晴らしかった。クレーとカンディンスキーの名前を出しているが、副題の「20世紀ドイツ語圏の絵画とデザイン」のほうがこの展覧会にぴったりだと思う。いちばんのハイライトはやっぱりバウハウス。それも初期の表現主義的な思想から機能主義に変遷する過程も展示内容から観てとれて、とてもいい構成だと感じた。デザイン系の学生がこぞって観に行くべき展覧会なのでは。
クレーの作品は物足りなかった。私の好きな時代のものはなかったのか。それとは対照的にカンディンスキーの作品には感動した。連作「小さな世界」、「活気ある安定」や「鎮められたコントラスト」など、これはと思わせる作品が並ぶ。一見、混乱に見えて人間の感性にうったえる計算されたデザイン。緻密なバランスがあるからこそ、観る人に美を感じさせる。その緻密なバランスの端々に、どこか割り切れない、つじつまの合わない、いびつなものが存在しているようで、それが逆にカンディンスキーの作品が単に小さな額に収まらない広大な世界を表現していると思った。リアルなのだ。まるでいまの世界を見通していたかのような。
自分がつくる表現も、こうできたら最高。基本、デザインはロジックの積み重ねで構築されるべきだが、その中にもやはり言葉では説明できない何かを埋め込みたい。たぶんそれが観る人の無意識にうったえて魅了するのだと思う。すみずみまでキッチリ明白なデザインは、美しいとしても果たして魅力的なのか。よくわからないけど人を惹きつける何かを計算してデザインできたら、最強なわけだ。カンディンスキーの作品にはそのいびつな何かがあるような気がして、とてもとても感じいった。
私の心配は無用で、展示内容はとても素晴らしいものだった。20世紀の初めごろからドイツで出版された美術誌を軸にして、その時代に活躍した画家の作品を展示していた。『パン』『ユーゲント』などはとても興味深かった。『ユーゲント』はロゴなどを決めず、表紙は毎回、公募によるデザインだった。思いがけず、クリムトやシーレの作品も観られた。特にクリムトのウィーン分離派の展覧会ポスターに目を惹かれた。カンディンスキーのファーランクス展ポスターも素晴らしかった。クレーとカンディンスキーの名前を出しているが、副題の「20世紀ドイツ語圏の絵画とデザイン」のほうがこの展覧会にぴったりだと思う。いちばんのハイライトはやっぱりバウハウス。それも初期の表現主義的な思想から機能主義に変遷する過程も展示内容から観てとれて、とてもいい構成だと感じた。デザイン系の学生がこぞって観に行くべき展覧会なのでは。
クレーの作品は物足りなかった。私の好きな時代のものはなかったのか。それとは対照的にカンディンスキーの作品には感動した。連作「小さな世界」、「活気ある安定」や「鎮められたコントラスト」など、これはと思わせる作品が並ぶ。一見、混乱に見えて人間の感性にうったえる計算されたデザイン。緻密なバランスがあるからこそ、観る人に美を感じさせる。その緻密なバランスの端々に、どこか割り切れない、つじつまの合わない、いびつなものが存在しているようで、それが逆にカンディンスキーの作品が単に小さな額に収まらない広大な世界を表現していると思った。リアルなのだ。まるでいまの世界を見通していたかのような。
自分がつくる表現も、こうできたら最高。基本、デザインはロジックの積み重ねで構築されるべきだが、その中にもやはり言葉では説明できない何かを埋め込みたい。たぶんそれが観る人の無意識にうったえて魅了するのだと思う。すみずみまでキッチリ明白なデザインは、美しいとしても果たして魅力的なのか。よくわからないけど人を惹きつける何かを計算してデザインできたら、最強なわけだ。カンディンスキーの作品にはそのいびつな何かがあるような気がして、とてもとても感じいった。
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