ブライアン・W・オールディスの小説。なぜか文庫を古本で買っていた。誰かのコラムで紹介されていて興味を持ったはずだが、思い出せない。正月休みに読んでみる。
小説は時間がかかると思ってここしばらく手を出していない。トーマス・マンの『ヨセフとその兄弟』もウイリアム・ギブソンの『あいどる』も、中途で何年間も放りっぱなし。だがこの『地球の長い午後』はさくさく読めて、2日間ほどで読破した。
読み始めてすぐに筒井康隆『メタモルフォセス群島』、宮崎駿『風の谷のナウシカ』などを連想。次世代の地球を描く試みはかなり前からあったんだ……。そういえば手塚治虫は『火の鳥』でそれやっているし。『地球の長い午後』は今から50年前の作品で、このテーマのオリジンではないだろうか。作者の想像力は驚異だ。
地球の自転が弱まり、自転と公転の周期が等しくなり、昼の部分は昼が続き、夜の部分は永遠に闇に包まれるようになった地球。そしてどんどん膨張していく太陽。地球の数億年後の姿としてありそうな設定。地球の昼の部分は植物に支配され、動物は駆逐され人類は姿形を変えてほそぼそと種を維持している。
読みながら立ち止まり、その未来の地球を頭の中でビジュアル化しようと努力してみる。小説を読みながら、小説に喚起され頭の中に広がるイメージはSF映画よりもリアルだ、というのが私の持論だが、この作品に関してはなかなか難しい。なんかしっくりイメージできないまま、先を急いで読んでしまった。
なるほどディスカバリーチャンネルの『フューチャー・イズ・ワイルド』はとてもよくできた成功例だ。あの映像はとても説得力があり、好感が持てた。ただ、あの映像もあくまでも美しく整理されているが、実際の世界はもっとめちゃくちゃでこんがらがっていて、カオスなはず。もっと汚いはず。汚いものをイメージするのは難しい。
物語の締めくくりはかなりあっけない。想像し得た結末だった。でもがっかり感はなく、そうだよな、という共感がある。21世紀に生きているから共感できたのかも、とさえ思える。SFは予言の書であり、おさらいする復習の書でもある。10年後20年後、数百年後、数億年後、未来を想像することはとても大事なことだと思う。
小説は時間がかかると思ってここしばらく手を出していない。トーマス・マンの『ヨセフとその兄弟』もウイリアム・ギブソンの『あいどる』も、中途で何年間も放りっぱなし。だがこの『地球の長い午後』はさくさく読めて、2日間ほどで読破した。
読み始めてすぐに筒井康隆『メタモルフォセス群島』、宮崎駿『風の谷のナウシカ』などを連想。次世代の地球を描く試みはかなり前からあったんだ……。そういえば手塚治虫は『火の鳥』でそれやっているし。『地球の長い午後』は今から50年前の作品で、このテーマのオリジンではないだろうか。作者の想像力は驚異だ。
地球の自転が弱まり、自転と公転の周期が等しくなり、昼の部分は昼が続き、夜の部分は永遠に闇に包まれるようになった地球。そしてどんどん膨張していく太陽。地球の数億年後の姿としてありそうな設定。地球の昼の部分は植物に支配され、動物は駆逐され人類は姿形を変えてほそぼそと種を維持している。
読みながら立ち止まり、その未来の地球を頭の中でビジュアル化しようと努力してみる。小説を読みながら、小説に喚起され頭の中に広がるイメージはSF映画よりもリアルだ、というのが私の持論だが、この作品に関してはなかなか難しい。なんかしっくりイメージできないまま、先を急いで読んでしまった。
なるほどディスカバリーチャンネルの『フューチャー・イズ・ワイルド』はとてもよくできた成功例だ。あの映像はとても説得力があり、好感が持てた。ただ、あの映像もあくまでも美しく整理されているが、実際の世界はもっとめちゃくちゃでこんがらがっていて、カオスなはず。もっと汚いはず。汚いものをイメージするのは難しい。
物語の締めくくりはかなりあっけない。想像し得た結末だった。でもがっかり感はなく、そうだよな、という共感がある。21世紀に生きているから共感できたのかも、とさえ思える。SFは予言の書であり、おさらいする復習の書でもある。10年後20年後、数百年後、数億年後、未来を想像することはとても大事なことだと思う。
コメント