ゲームセンター入り浸り
2010年10月21日 日常25年前、盛岡の映画館通りと大通りの交差点、今でもかどに北日本銀行大通支店があるのだが、その大通りに面した側のとなりに「ネットワークインタイトー」というゲームセンターがあった。間口はそれほど広くないが、奥行きがあり、私の知る限り単体のゲームセンターとしては盛岡で一番広かった。確かめたことはないが、名前からするとタイトーの直営店だったのではないかと思う。広さをいかして、ナムコの「ポールポジション」、セガの「ハングオン」、タツミの「TX-1」など大きな筐体マシンも置いていた。高校3年と浪人時代の2年間、ここが行きつけ(?)の店となった。
当時、アーケードゲームは1プレイ100円が基本だったが、探せば50円でプレイできるゲーセンも多かった。ゲーセンというか、駄菓子屋を改装したりした小さな個人経営のお店がほとんど。お小遣いに余裕があったわけではないので、私はだいたいそういう場末的な安くプレイできる店を回っていた。そんな私がメーカー直営店の大型ゲーセン「ネットワークインタイトー」に通うようになったのは、そこで大学に進んだ高校時代の先輩がバイトを始めたのがきっかけだった。
ゲーセンのバイトとは、両替の対応やゲーム機にトラブルがあったときに対応する店番である。で、先輩が店番のとき、ちょっとお願い♪をするのだ。先輩はゲーム機のカギを持ってきて、中を開けて秘密のスイッチを押す。それはクレジットボタンで、1回押すと1回無料でプレイできるのだ。これはコインを入れたけどプレイできなかった、などのトラブルがあった際に、コイン分のプレイ回数を手動で増やしてあげるというボタン。それを悪用して、私はゲームをタダプレイしていたのだ。
もちろん、あまりおおっぴらにできることではないので、人が少なくなる深夜など遊びに行って、タダプレイをさせてもらっていた。新しい台が入ると特訓と称して夜中に出かけ、先輩にクレジットをたくさん入れてもらい腕を磨く。ワンコインで長く遊べるくらい上達したら、昼間や放課後に自分の100円でじっくり遊ぶ、そんな感じだった。「ゼビウス」「ロードランナー」などは最後までクリアして、ワンコインで何時間でも遊んでいられた。
ネットワークインタイトーが他のゲーセンと違っていたのは、昔あった雑誌「ベーシックマガジン」の「ハイスコアランキング」の協力店だったこと。これは全国のゲームセンター100店舗ほどの協力店から寄せられたその店のハイスコアランキングを集計、そのゲームの全国ナンバーワンスコアとプレイヤーの名前が雑誌に載るというもの。ゲーマーにとってはなかなかのステイタスである。ネットワークインタイトーは岩手県でただ1店のハイスコアランキング協力店だったのだ。店にはランキングのボードがあり、ハイスコアを記録したらバイトの店番を呼んで確認してもらい、スコアを記入してもらう。ゲーセン側は月々の締め日にそのハイスコアをベーシックマガジンに送る。そしてベーシックマガジンで全国集計、発表、というシステムである。
私も雑誌に自分の名前を載せたくて、かなり頑張った。すべてのゲーム機で争われるわけではなく、決まった機種なので、その中の自分の得意なゲームに絞って攻略にはげんだりしたものだ。また、新しい機種で早く上達してスコアを出すと、全国1位で名前が乗るチャンスが増える。「ゼビウス」や「ロードランナー」のように人気定番機種となると、カウンターリミットがハイスコアになってしまい、雑誌には「全国30名の方」ということになってしまう。それではおもしろくない。私もすでに「ゼビウス」「ロードランナー」ではリミット超えしていたので、全国◯名の中に入ってはいたのだが。よく覚えてないが、1度くらい全国1位単独で名前が載ったことがあったはずだが記憶違いか。「T・A・N・K」あたりじゃないかと思うのだが。これはグラフィックもきれいで、よくできたゲームだった。
当時、アーケードゲームは1プレイ100円が基本だったが、探せば50円でプレイできるゲーセンも多かった。ゲーセンというか、駄菓子屋を改装したりした小さな個人経営のお店がほとんど。お小遣いに余裕があったわけではないので、私はだいたいそういう場末的な安くプレイできる店を回っていた。そんな私がメーカー直営店の大型ゲーセン「ネットワークインタイトー」に通うようになったのは、そこで大学に進んだ高校時代の先輩がバイトを始めたのがきっかけだった。
ゲーセンのバイトとは、両替の対応やゲーム機にトラブルがあったときに対応する店番である。で、先輩が店番のとき、ちょっとお願い♪をするのだ。先輩はゲーム機のカギを持ってきて、中を開けて秘密のスイッチを押す。それはクレジットボタンで、1回押すと1回無料でプレイできるのだ。これはコインを入れたけどプレイできなかった、などのトラブルがあった際に、コイン分のプレイ回数を手動で増やしてあげるというボタン。それを悪用して、私はゲームをタダプレイしていたのだ。
もちろん、あまりおおっぴらにできることではないので、人が少なくなる深夜など遊びに行って、タダプレイをさせてもらっていた。新しい台が入ると特訓と称して夜中に出かけ、先輩にクレジットをたくさん入れてもらい腕を磨く。ワンコインで長く遊べるくらい上達したら、昼間や放課後に自分の100円でじっくり遊ぶ、そんな感じだった。「ゼビウス」「ロードランナー」などは最後までクリアして、ワンコインで何時間でも遊んでいられた。
ネットワークインタイトーが他のゲーセンと違っていたのは、昔あった雑誌「ベーシックマガジン」の「ハイスコアランキング」の協力店だったこと。これは全国のゲームセンター100店舗ほどの協力店から寄せられたその店のハイスコアランキングを集計、そのゲームの全国ナンバーワンスコアとプレイヤーの名前が雑誌に載るというもの。ゲーマーにとってはなかなかのステイタスである。ネットワークインタイトーは岩手県でただ1店のハイスコアランキング協力店だったのだ。店にはランキングのボードがあり、ハイスコアを記録したらバイトの店番を呼んで確認してもらい、スコアを記入してもらう。ゲーセン側は月々の締め日にそのハイスコアをベーシックマガジンに送る。そしてベーシックマガジンで全国集計、発表、というシステムである。
私も雑誌に自分の名前を載せたくて、かなり頑張った。すべてのゲーム機で争われるわけではなく、決まった機種なので、その中の自分の得意なゲームに絞って攻略にはげんだりしたものだ。また、新しい機種で早く上達してスコアを出すと、全国1位で名前が乗るチャンスが増える。「ゼビウス」や「ロードランナー」のように人気定番機種となると、カウンターリミットがハイスコアになってしまい、雑誌には「全国30名の方」ということになってしまう。それではおもしろくない。私もすでに「ゼビウス」「ロードランナー」ではリミット超えしていたので、全国◯名の中に入ってはいたのだが。よく覚えてないが、1度くらい全国1位単独で名前が載ったことがあったはずだが記憶違いか。「T・A・N・K」あたりじゃないかと思うのだが。これはグラフィックもきれいで、よくできたゲームだった。
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