プロフェッサー・ロングヘア
今日の一曲
Big Chief/Professor Longhair
テレビ大好きっ子である私の休日の過ごし方の定番、ザッピング。今日は午後、ローズSの馬券を買う予定だが、それまでヒマ。スカパーのチャンネルを次々に眺めていたら、ヒストリーチャンネルで「ザ・ブルース・ムービープロジェクト」という番組をやっていた。その中でプロフェッサー・ロングヘアの映像があって、目が釘付け。そういえば、彼の音楽聴いたり、写真を見たりしたことはあったけど、彼が話していたりピアノを演奏しているムービーは見たことなかったっけ。

彼が若い頃、ピアノを修理する技師がいなくて、壊れたピアノは道端に捨てられたりしていた。そこで彼と仲間は、そのピアノを拾ってきて、自分たちで修理して弾いていた、というエピソードを話していた。ホンキートンクを思い出した。アメリカ西部開拓時代、ピアノも開拓者といっしょに西へ西へと運ばれたが、調律師はいなかった。ゴトゴト揺られて運ばれたピアノは、音が合っていないまま酒場などで演奏され、それがあの調子外れで楽しいホンキートンクというジャンルを生み出した。Pロングヘアもこう話していた。「ピアノを弾いていて動かなくて音が出ない鍵盤があっても平気、となりの鍵盤を弾くんだよ」。整った完璧な環境で奏でる音楽も美しくていいけど、劣悪な環境で偶然から生まれる音楽も、味があって惹かれる。

ピアノを弾くPロングヘアの姿も初めて見たが、独特で興味深かった。ピアノを習うと、手首を高く支えて指先で鍵盤をタッチするよう教えられる。Pロングヘアは手首が鍵盤の下までくるような、ピアニストからすると非常にだらしない姿勢で、指の腹の部分で鍵盤をなでていた。独学なんだろうなー、あれこれ言われるわけでなく、自分のスタイルでピアノと暮らしてきたんだろうなと思った。うらやましい。自分のスタイルを貫いて、そして後世に伝えられる音楽、人物になったのだから、素晴らしい人生だったわけだ。

私は若い頃、音楽は、芸術は押し付けがましくてはいかんだろ、と思っていた。芸術は音楽や絵画そのものをいうのではなく、それを聴いたり観たりした人の中に広がるイメージこそが芸術。だから人によって受け取り方が自由なミニマル・ミュージックに傾倒した。そしてジャズのスウィングやブルースは、あまりにもパーソナルな感覚なような気がして、嫌っていた。それがいつの間にか、ブルースもファンクも私の中に自然に入り込むようになってきた。不思議な感じがする。ジャズにはいまだになじめないが(笑)。



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