今の時期、夜、窓を開け放して寝るのが好きだ。梅雨が明けて真夏がやってくると、もう窓を開けては寝られない。エアコン入れて寝るしかない。ベッドの枕元は、ベランダに面した窓のすぐ近く。シャワーを浴びたあと、ベッドに寝転んで外の風で涼むのが、とっても気持ちがいい。
昨夜はそのまま気持ちよく寝たのだが、夜中、ピピピピ、という電子音で目が覚めた。あー、またケイコが音が鳴る電卓使っているのか、と思って、「そのピピピって止めてくれる?!」とわりと大きな声でアピール。そしたらそれはケイコではなくて、アパートのとなりの女子大生が全自動洗濯機を操作する電子音だったのだ。うちのアパートはベランダに洗濯機を置くようになっている。
あー、そうかー、となりの女子大生、夜中に洗濯するんだよなー、と思いながらウトウトしていると、私の声もあちらに届いたらしい。となりは女の子2人がルームシェアをしているのだが、洗濯しようとした子がもう1人に「となりの人がうるさいらしいから、今日は洗濯やめた」とか言っているのが聞こえた。私は夜中の洗濯も、別に気にしてなかったが、ご近所のこと考えると、今後は控えたほうがいいんでない?とも夢うつつに思った。ちらっと時計を見たら、今、夜中の1時すぎだぜ?
人間誰しも、たまには落ち着いた場所で静寂に包まれて過ごしたいときもある。でも、この都会でそんな場所って? 夜、窓を開けて寝転んでいると、確かに静かだ。でも、夜中でもたまに遠くを自動車が走っている音がするし、部屋の中では時計のカチカチいう音がしていたり、エアコンつけていたらモーターの音がする。
夢うつつに思い出したシーンがある。山の上のこと。私は小学生のころから高校生ぐらいまで、登山部だった母親に連れられて、けっこう登山をした。それもわりと体育会系のノリで。よく怒られたりしたっけ。でもそうやって訪れた山の上には、下界にはない静寂があった。シンとする、という表現があるが、ほんとうにすべてがシンとしている。背の低い草木が地面に張りついている。岩がごろごろ転がっている。たまに高山植物が小さな花を咲かせている。いろんなものが存在しているのだが、それらがみんな、シンとしているのだ。都会は違う。あるものあるもの、みんな自分を主張するように、何かしら音を出している。
何がいいとか悪いとかじゃなく、都会において、静寂はほんとに貴重なんだと思った。人は金を払って防音のスタジオを借りる。クルマは値段が高ければ高いほど、静かな空間をもたらしてくれる。トヨタは静かなエンジンと膨大な詰め物で静寂をつくり、ホンダはノイズの逆位相波形の音をわざと発生させて、クルマのノイズを抑えている。ホンダと同じ仕組みを利用した、ノイズキャンセリングヘッドホンも人気だ。もっとも商品としてはヘッドホンのほうがクルマよりも先に存在したが。みんなお金を払って静寂を得ている。
あー、でも、私が思い出した山の上の静寂は、そういう都会のつくられた静寂とは違うのだ。シンとしているのだ。都会のつくられた静寂は、私にとっては違う。都会の静寂は何か息苦しく感じる。なぜだろう。つくられた静寂も決して悪いものではない。でも、山の上の静寂とは違う。
今、思い描くのは、宇宙の静寂。どんな静寂なんだろう。絶対、山の上とも都会の静寂とも、違うはずだ。地上にはない静寂。感じてみたい。
昨夜はそのまま気持ちよく寝たのだが、夜中、ピピピピ、という電子音で目が覚めた。あー、またケイコが音が鳴る電卓使っているのか、と思って、「そのピピピって止めてくれる?!」とわりと大きな声でアピール。そしたらそれはケイコではなくて、アパートのとなりの女子大生が全自動洗濯機を操作する電子音だったのだ。うちのアパートはベランダに洗濯機を置くようになっている。
あー、そうかー、となりの女子大生、夜中に洗濯するんだよなー、と思いながらウトウトしていると、私の声もあちらに届いたらしい。となりは女の子2人がルームシェアをしているのだが、洗濯しようとした子がもう1人に「となりの人がうるさいらしいから、今日は洗濯やめた」とか言っているのが聞こえた。私は夜中の洗濯も、別に気にしてなかったが、ご近所のこと考えると、今後は控えたほうがいいんでない?とも夢うつつに思った。ちらっと時計を見たら、今、夜中の1時すぎだぜ?
人間誰しも、たまには落ち着いた場所で静寂に包まれて過ごしたいときもある。でも、この都会でそんな場所って? 夜、窓を開けて寝転んでいると、確かに静かだ。でも、夜中でもたまに遠くを自動車が走っている音がするし、部屋の中では時計のカチカチいう音がしていたり、エアコンつけていたらモーターの音がする。
夢うつつに思い出したシーンがある。山の上のこと。私は小学生のころから高校生ぐらいまで、登山部だった母親に連れられて、けっこう登山をした。それもわりと体育会系のノリで。よく怒られたりしたっけ。でもそうやって訪れた山の上には、下界にはない静寂があった。シンとする、という表現があるが、ほんとうにすべてがシンとしている。背の低い草木が地面に張りついている。岩がごろごろ転がっている。たまに高山植物が小さな花を咲かせている。いろんなものが存在しているのだが、それらがみんな、シンとしているのだ。都会は違う。あるものあるもの、みんな自分を主張するように、何かしら音を出している。
何がいいとか悪いとかじゃなく、都会において、静寂はほんとに貴重なんだと思った。人は金を払って防音のスタジオを借りる。クルマは値段が高ければ高いほど、静かな空間をもたらしてくれる。トヨタは静かなエンジンと膨大な詰め物で静寂をつくり、ホンダはノイズの逆位相波形の音をわざと発生させて、クルマのノイズを抑えている。ホンダと同じ仕組みを利用した、ノイズキャンセリングヘッドホンも人気だ。もっとも商品としてはヘッドホンのほうがクルマよりも先に存在したが。みんなお金を払って静寂を得ている。
あー、でも、私が思い出した山の上の静寂は、そういう都会のつくられた静寂とは違うのだ。シンとしているのだ。都会のつくられた静寂は、私にとっては違う。都会の静寂は何か息苦しく感じる。なぜだろう。つくられた静寂も決して悪いものではない。でも、山の上の静寂とは違う。
今、思い描くのは、宇宙の静寂。どんな静寂なんだろう。絶対、山の上とも都会の静寂とも、違うはずだ。地上にはない静寂。感じてみたい。
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