聖火リレーも止めどき
2008年4月9日 オリンピック聖火を持ったランナーを中心に、10人程度の中国から派遣された警備員、その周りに100人規模の警察官と関係車両の、群れ。思わず笑ってしまう光景だ。聖火ランナーが掲げている聖火を消しても聖火が途切れることはない。聖火の大元は別のところでちゃんと燃えており、途中で消えたらまた大元から火を分ければいいだけのこと。でも聖火ランナーをとりまく人たちの必死さは、この火が消えるとオリンピックがなくなる、火を消すことができれば偽善をまとったオリンピック開催を防ぐことができる、くらいの勢いである。でもそれはどこかゲームじみていて、微笑ましい。
聖火リレーは1936年のベルリンオリンピックから始まった。オリンピックの象徴としてすでに存在していた聖火。多くの人とオリンピックを共有、共感しようという建前のもと、聖火リレーは実はスパイ目的で発案されたという側面がある。当時、ヨーロッパの覇権をもくろむナチ党は、周辺国家の実情を探ることに苦心していた。そこで自国のオリンピック開催をネタに、聖火リレーという堂々と他国を見て回れるイベントを考え出したのだ。3,000人以上のランナーが聖火をオリンピアからベルリンまで運んだとのことだが、ランナー以外にも多くのナチ党関係者がスタッフとして同行したであろうことは、想像に難くない。
まー、最初の動機が不純であろうと、その後の聖火リレーは健全ないいイベントだったと思う。多くの人がランナーとなり、オリンピックに参加するという実感を得ただろう。聖火リレーによるシンパシーの広がりは効果大だったと思う。
でも、今回の聖火リレーの模様をテレビニュースで見ながら、もうそろそろ聖火リレーも止めていいんじゃん?と思った。数百人の警備を引き連れて、妨害に会いそうだとすぐにランナーはバスに乗ってしまったり。茶番だ。そこまでのお金と労力をかける意味はないように思う。ランナーもかわいそう。もうオリンピックは地球上に十分、周知されていると思うし、聖火リレーの目的も終わっているような気がする。トラブルの機会を作ってしまう聖火リレーはいらないでしょう。
という理論を発展させちゃうと、トラブルの機会を作ってしまうオリンピックもいらない? 私はそうは思わない。オリンピックでも過去に何度もテロに見舞われた。多くの人が集まり、多くの人に注目されるイベント。テロの格好の標的である。だが、オリンピックの発祥について考えてみたい。
オリンピックの由来はギリシャ神話まださかのぼるような話しで、実際にどうだったのか、ということは諸説あるようだが、古代ギリシャにおけるオリンピアの競技会がルーツとのこと。当時は都市国家間の争いが絶えない時代だったが、4年に1度、武器を捨てて、戦争ではなく裸でぶつかり合い勝敗を決めよう、みたいな申し合わせをした。平和の祭典と言われるゆえんである。全世界に浸透した平和の祭典がテロに屈してしまっては……。それこそ暗黒の世界だ。スパイ目的だった聖火リレーはなくなっても平気だけど、平和を求めたオリンピックがなくなると困る、と思う。
古代オリンピア競技会の間は休戦期間として、競技者や観客の旅の安全を保障された。もしこの休戦を破った国は、競技会への参加が拒否されたほか、他国から外交関係を絶たれることにもなった。つまり、この競技会は思いっきり政治とリンクしていたのだ。
近代オリンピックにおいて、モスクワオリンピックのボイコットのようなことが起こらないように、オリンピックを政治的手段にするのを止めよう、と言ったのは、確かサマランチ会長。しかし、私はオリンピックの原点に戻って、オリンピックは、IOCは思いっきり政治的介入をしてほしいと思う。
戦争、紛争、止めないところはオリンピックには参加させません! いいね〜♪ アメリカ、ダメだね。アメリカの戦争にお金出したり、給油したり、軍隊を送っている日本もダメだね♪ それよりもなによりも、開催国である中国がまず参加できない。平和の祭典を行うために、戦争や紛争、人殺しを無視したり、それらにフタをするようなことではいけない。そうではなく、積極的に平和を進めなくては。本気でオリンピックを平和の祭典にしたいと願う、のは私だけ?
聖火リレーは1936年のベルリンオリンピックから始まった。オリンピックの象徴としてすでに存在していた聖火。多くの人とオリンピックを共有、共感しようという建前のもと、聖火リレーは実はスパイ目的で発案されたという側面がある。当時、ヨーロッパの覇権をもくろむナチ党は、周辺国家の実情を探ることに苦心していた。そこで自国のオリンピック開催をネタに、聖火リレーという堂々と他国を見て回れるイベントを考え出したのだ。3,000人以上のランナーが聖火をオリンピアからベルリンまで運んだとのことだが、ランナー以外にも多くのナチ党関係者がスタッフとして同行したであろうことは、想像に難くない。
まー、最初の動機が不純であろうと、その後の聖火リレーは健全ないいイベントだったと思う。多くの人がランナーとなり、オリンピックに参加するという実感を得ただろう。聖火リレーによるシンパシーの広がりは効果大だったと思う。
でも、今回の聖火リレーの模様をテレビニュースで見ながら、もうそろそろ聖火リレーも止めていいんじゃん?と思った。数百人の警備を引き連れて、妨害に会いそうだとすぐにランナーはバスに乗ってしまったり。茶番だ。そこまでのお金と労力をかける意味はないように思う。ランナーもかわいそう。もうオリンピックは地球上に十分、周知されていると思うし、聖火リレーの目的も終わっているような気がする。トラブルの機会を作ってしまう聖火リレーはいらないでしょう。
という理論を発展させちゃうと、トラブルの機会を作ってしまうオリンピックもいらない? 私はそうは思わない。オリンピックでも過去に何度もテロに見舞われた。多くの人が集まり、多くの人に注目されるイベント。テロの格好の標的である。だが、オリンピックの発祥について考えてみたい。
オリンピックの由来はギリシャ神話まださかのぼるような話しで、実際にどうだったのか、ということは諸説あるようだが、古代ギリシャにおけるオリンピアの競技会がルーツとのこと。当時は都市国家間の争いが絶えない時代だったが、4年に1度、武器を捨てて、戦争ではなく裸でぶつかり合い勝敗を決めよう、みたいな申し合わせをした。平和の祭典と言われるゆえんである。全世界に浸透した平和の祭典がテロに屈してしまっては……。それこそ暗黒の世界だ。スパイ目的だった聖火リレーはなくなっても平気だけど、平和を求めたオリンピックがなくなると困る、と思う。
古代オリンピア競技会の間は休戦期間として、競技者や観客の旅の安全を保障された。もしこの休戦を破った国は、競技会への参加が拒否されたほか、他国から外交関係を絶たれることにもなった。つまり、この競技会は思いっきり政治とリンクしていたのだ。
近代オリンピックにおいて、モスクワオリンピックのボイコットのようなことが起こらないように、オリンピックを政治的手段にするのを止めよう、と言ったのは、確かサマランチ会長。しかし、私はオリンピックの原点に戻って、オリンピックは、IOCは思いっきり政治的介入をしてほしいと思う。
戦争、紛争、止めないところはオリンピックには参加させません! いいね〜♪ アメリカ、ダメだね。アメリカの戦争にお金出したり、給油したり、軍隊を送っている日本もダメだね♪ それよりもなによりも、開催国である中国がまず参加できない。平和の祭典を行うために、戦争や紛争、人殺しを無視したり、それらにフタをするようなことではいけない。そうではなく、積極的に平和を進めなくては。本気でオリンピックを平和の祭典にしたいと願う、のは私だけ?
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