伝統を守って欲しい“大相撲”
2008年2月18日 スポーツ北の湖理事長は記者会見で、今、相撲界には改革が必要なのでは?という質問に、
「改革? 改革って何をですか?」
とのたまった。
伝統を守る、というのは変化しない、ということではない。変化を怖れず、その時代時代にマッチした在り方を模索して、社会に受け入れられるように柔軟に変貌するのが、伝統を守っていくことだ。そうでなければ、長い年月を生き延びることはできないではないか。
実際、大相撲だって100年前とは違うでしょう。昔は冷暖房完備の体育館ではやってなかったでしょうねー。土俵には必ずあった屋根を支える柱も、大相撲ではふさになり、屋根は天井からの吊り下げタイプになった。これは力士の激突事故を防ぐ処置だったのではないか。相撲はいくつもの改革を重ねて伝統を守ってきた。変化してきたからこそ、長い年月、支持されて生き残ってきた。
大相撲は改革に重ねる改革の上に、今のポジションを確立してきたわけだから、北の湖理事長の発言は乱暴すぎ。「今は改革の時期ではない」くらいがまともだと思う。
でも、素人の私がちょっと考えただけで、すぐにでも改革すべしは、いくらでもある。
まず、大相撲開催の縮小。力士はどんどん強くなって、勝つ方法の研究にいとまがない。体も頭も進化している。そのエネルギーのぶつかり合いは、どんどん激しく大きくなっているはず。実際、怪我が多い。休場は大相撲に対する興味を非常にそいでしまう。もちろん怪我は各力士の精進にもよるとは思うが、まずは多くなりすぎた興行を減らして、練習に集中できる環境を作るべき。地方巡業はかけがえないと思う。年に6回もある本場所は減らすべき。1年で4日に1回、本場所が行われている。これは多いと感じないか? 練習に練習を重ねて、力を溜めて溜めて、数少ない本場所でぶつかり合って優劣を競う。負けたら悔しくて涙を流す力士がいてもいい。こういうの観たい。
2つめは本場所開催の時間帯。昼間から始まって午後6時に終わるという現状は変えなくていい? 多くの人が働いていて、なかなか観に行けない。会社帰りに観に行けるようになったら、私は行くなー。まず、欠かさずテレビ中継は観る。でもホークスの試合中継のほうが優先されるか。私の場合は。
これはまだ具体的にどうすればいいか私も考えがまとまってないが、相撲の訴求力の問題。相撲がなんで認められるかというと、やっぱり世界一強い格闘技だから、なのではないか。パワーとサイズは圧倒的。スタミナがちょいとあやしいが、打撃にはびくともしない。相手を瞬殺である。こういう魅力がなければ、まず相撲を目指す子どもがいないでしょう。優良な力士を育てるために、こういう訴求力は大切。で、現状、大相撲はすごい閉鎖的なところで成り立っている。外国力士は部屋に1人だけ、というよくわからん規則からしてナンセンス。あと、やっぱり他の格闘技とは違うなー、さすがだなー、という演出は必要。他流試合じゃなくて、何かないか。
ほんとは、心技体、と言われるように、相撲に強い人は人間としても強くてみんなの憧れになるような人物である。そのことが訴求力でもあったのだが、朝青龍は違う感じ。彼はカッコいいし、もし彼が他の格闘技でやることになったら、私も大喜びで応援する。でも相撲で強い人というのは、朝青龍みたいなのじゃない。私の中では千代の富士。相撲の訴求力とは、人間の限界を超えたような圧倒的な存在、にあるのかもしれない。でも朝青龍は単に強い人間、って感じ。
「改革? 改革って何をですか?」
とのたまった。
伝統を守る、というのは変化しない、ということではない。変化を怖れず、その時代時代にマッチした在り方を模索して、社会に受け入れられるように柔軟に変貌するのが、伝統を守っていくことだ。そうでなければ、長い年月を生き延びることはできないではないか。
実際、大相撲だって100年前とは違うでしょう。昔は冷暖房完備の体育館ではやってなかったでしょうねー。土俵には必ずあった屋根を支える柱も、大相撲ではふさになり、屋根は天井からの吊り下げタイプになった。これは力士の激突事故を防ぐ処置だったのではないか。相撲はいくつもの改革を重ねて伝統を守ってきた。変化してきたからこそ、長い年月、支持されて生き残ってきた。
大相撲は改革に重ねる改革の上に、今のポジションを確立してきたわけだから、北の湖理事長の発言は乱暴すぎ。「今は改革の時期ではない」くらいがまともだと思う。
でも、素人の私がちょっと考えただけで、すぐにでも改革すべしは、いくらでもある。
まず、大相撲開催の縮小。力士はどんどん強くなって、勝つ方法の研究にいとまがない。体も頭も進化している。そのエネルギーのぶつかり合いは、どんどん激しく大きくなっているはず。実際、怪我が多い。休場は大相撲に対する興味を非常にそいでしまう。もちろん怪我は各力士の精進にもよるとは思うが、まずは多くなりすぎた興行を減らして、練習に集中できる環境を作るべき。地方巡業はかけがえないと思う。年に6回もある本場所は減らすべき。1年で4日に1回、本場所が行われている。これは多いと感じないか? 練習に練習を重ねて、力を溜めて溜めて、数少ない本場所でぶつかり合って優劣を競う。負けたら悔しくて涙を流す力士がいてもいい。こういうの観たい。
2つめは本場所開催の時間帯。昼間から始まって午後6時に終わるという現状は変えなくていい? 多くの人が働いていて、なかなか観に行けない。会社帰りに観に行けるようになったら、私は行くなー。まず、欠かさずテレビ中継は観る。でもホークスの試合中継のほうが優先されるか。私の場合は。
これはまだ具体的にどうすればいいか私も考えがまとまってないが、相撲の訴求力の問題。相撲がなんで認められるかというと、やっぱり世界一強い格闘技だから、なのではないか。パワーとサイズは圧倒的。スタミナがちょいとあやしいが、打撃にはびくともしない。相手を瞬殺である。こういう魅力がなければ、まず相撲を目指す子どもがいないでしょう。優良な力士を育てるために、こういう訴求力は大切。で、現状、大相撲はすごい閉鎖的なところで成り立っている。外国力士は部屋に1人だけ、というよくわからん規則からしてナンセンス。あと、やっぱり他の格闘技とは違うなー、さすがだなー、という演出は必要。他流試合じゃなくて、何かないか。
ほんとは、心技体、と言われるように、相撲に強い人は人間としても強くてみんなの憧れになるような人物である。そのことが訴求力でもあったのだが、朝青龍は違う感じ。彼はカッコいいし、もし彼が他の格闘技でやることになったら、私も大喜びで応援する。でも相撲で強い人というのは、朝青龍みたいなのじゃない。私の中では千代の富士。相撲の訴求力とは、人間の限界を超えたような圧倒的な存在、にあるのかもしれない。でも朝青龍は単に強い人間、って感じ。
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